アルカトラズ島


 アルカトラズ島は、フィーシャマンズワーフから2.4kmくらいしか離れていない島であるが、7〜10度の冷めたさと早い潮流で、島から泳いでわたることは不可能といわれた脱獄不可能といわれた連邦刑務所があった島である。更正不可能な囚人が送れることで有名で、アルカポネやマシンガンケリーが服役したところでである。我々にはアルカトラズからの脱出やROCKなんかの映画でおなじみの島と言えばちょっとピンと来るかな?

アルカトラズへは、Blue&Goldのフェリーで行く。このツアーは超人気で、我々は土曜日に行ったが、この時点で飛込みで入っても、月曜日にしか買えないようだ。このため、確実にアルカトラズ島に行きたいなら、HOTELの予約のついでに申し込んでおくと良い。旅行会社でもやってくれるが、恐ろしいほどの手数料をとられるので、自分で電話かWEBサイトから申し込んでおく良い。

下記のWEBから申し込めるので、参考にしてほしい。
http://www.blueandgoldfleet.com/
私は申し込みしてあるので、PREPAIDのカウンタからTicketをもらった。確認番号と申し込んだクレジットカードが必要である。

Bule&Goldの船で10分ほどで桟橋につく。INDIANS WELCOMEとあるのは、当初から書かれたのではなく、先住民(ネイティブアメリカン)の占拠が原因であるそうである。でも、目に付くところにあるのでいやがうえでも、すごいところに来たなあという感じだ。

最初は、Guestスピーカーを呼んだ特集がシアターで開かれている。英語で聞くのは苦痛だし。早く中を見かかったので今回はPASSした。

上の道を丘に上がっていくと、Audioツアーと呼ばれる掲示板があるので、それにしたがって頂上のCELL HOUSEといわれる刑務所に入る。下がちょうど入り口である。この先の階段をあがると、Alcatrazの見学ツアーが始まる。

ツアーは、ヘットフォンとカセットをくれるのでそれに従って、自分で進んでいくスタイルである。デフォルトでは、英語のカセットを渡されるが日本語版も用意されているので、日本語がいい人は申し出ればいいであろう。この通路はタイムズスクエアと呼ばれているそうで、ここからスタートである。

英語版では、実際の人のインタビューでAlcatrazの生活が触れられる。囚人の立場、看守の立場など、ちょっと考えさせれるものがある。まずは暮らしぶりが示されるが、こんな狭いところに、ベットとトイレしかない生活である。いくら、3食ついてもちょっと勘弁して欲しいという感じだ。。。
 それにアルカトラズの内規第5条は、
  「支給されるものは、衣服、食料、寝起きの場所ならびに医療のみ。その他のものはすべて特典とみなされる。」
だそうである。すべてがこれにものがたっているが後ほど、歩いているうちに鉄格子をさわってくださいというエリアがあるが、ひんやりとしてちょっとちょっとという感じである。

床屋も一応あるが、オープンスペースでプライバシーというものはない。

食堂もこんな感じであるが、一番危険なところであるそうだ。一番奥の右かどに連邦刑務所最後の食事のメニューが掲載されていた。取ってはいるがきれいに取れなかったので、載せてはいないがトーストに、スクランブルエッグ、ミルクなど記載されていた。また、面白かったのは、包丁が型抜きされ、囚人が持っていけないようにしてある点である。これで、簡単に包丁の有無が分るようになっている。

さらに食堂の出口には金属探知機もある。また、ボートにも我々ようの金属探知機あるので、カセットテープをがめても分るからやらないように、売店で$10で売っているのだから気に入ったら買ってやってくださいね。私は素直に買ったので、そんなつもりはかなったけど、メキシカンは。。。。。。この先は想像にお任せします。

さらに歩くと隔離棟にくる。近代的であるが、明かりをつけさせない懲罰房である。バードマンで有名な人が、ロバート ストラウドが入っていたところであるそうだ。

看守に暴行を働くと入れられるそうであるが、こんなところにドアを閉められて、1週間もいたら気がくるいそうだ。。。。懲罰房から見た風景であるが、一種の緊張感が漂っている。

ちょうど出たこところである.ちょっと怖いねここは。。

刑務所にも図書館はあるが、一般的な図書館とは違い囚人が図書館にきて読むのではなく。読みたい本を注文して牢屋で読むスタイルだそうである。

ここまで、刑務所の暮らしぶりを紹介する感じであったが、ここから、アルカトラズであった代表的な脱獄事件の解説がはじまる。やっぱり、脱獄というか難攻不落の脱出というのは不謹慎かもしれないけど、わくわくするね。1946年に起きた6人の脱獄未遂事件と,1962年に発生したアングリン兄弟とフランクリーモリスの脱獄劇である。後者はアルカトラズからの脱出で有名な話だそうだ。まずは、前者の話から始まる。警戒厳重ではあるがどんなところでもすきはある。図書委員だった脱獄犯に一人は、注意深く毎日の状況を分析した。昼食時は、ガンギャラリーと呼ばれる。監視塔とかぎを管理している人間がかならず、一人になり、また見回りの巡回も一人であることにきずいたのである。このタイミングで、反乱をおこして逃亡を企てたが、必要なかぎを手入れられず立てこもり事件が発生してしまったことを教えてくれるのである。

ここが、反乱後の看守を人質にとった402、403号である。抵抗jする看守を撃ち殺すという凄惨な状態で2日間たてこもって、ついに軍が出てきて鎮圧したそうである。

そのとき、投下した爆弾の後が天井にある。ぽっかりあいた天井から爆弾を落としたそうである。これで看守二人と囚人3人死亡、多数の被害者がでたそうである。

次が有名なアルカトラズからの脱出で有名な事件の舞台になった牢屋をみれる。1962年代には、さすがに老朽化が激しくなり、通風孔もスプーンで削って逃げられるような状態にアルカトラズはなっていたようであるが、彼らがすごかったのは、逃げられるようになって、直ぐ逃げたのではなく。ちゃんと全体の脱出に対して相当な下準備をしたことである。まず、石鹸とけずったコンクリートと床屋から調達した髪の毛で作ったダミー頭部の作成や、通気口からそとに出て屋上で救命ボートを作成したそうである。寝ている振りにごまかして時間を稼ぎ、ボードで脱出する華麗な作戦であったようである。やっぱり、戦略は大切なことだなと痛感してしまった。下が、彼らがいて穴をあけた牢屋である。

この金属パイプを伝って、屋上との行き来をしたそうである。本当に成功したのは分らないらしい。3人は行方不明で、つかまっていないそうである。ボートを作ったとはいえ、潮が早くだめだったのではないかといわれている。

まあ、こんな感じでアルカトラズの歴史に触れられるのである。牢屋での暮らしぶり、また脱獄のスリルアル概説など結構面白いツアーだった。料金は$12.75に電話手数料$2.5だった。もし、サンフランシスコへ行くチャンスがあればぜひ見に行って欲しい。下はちょうど、島を離れたところである。

以上